VRアーティストインタビュー

音響が構築する没入感:VRアートにおけるサウンドデザインと技術の融合

Tags: VRアート, サウンドデザイン, 空間オーディオ, 技術とアート, VR開発, インタラクティブアート

音響が拓くVRアートの新たな地平:サトウ ハルキ氏インタビュー

VR空間の表現は、視覚に頼る部分が大きいと感じられがちです。しかし、真に没入感のある体験を創出するには、音響デザインもまた極めて重要な要素となります。今回は、VR空間におけるサウンドデザインを核としたアート作品を手がけ、音響技術とアート表現の融合を深く追求されているVRアーティスト、サトウ ハルキ氏にお話を伺いました。

サトウ氏の作品は、視覚的な要素に加え、緻密に設計された音響体験が来場者の感情や知覚に強く働きかけることで知られています。単なる背景音楽や効果音に留まらず、音響そのものがVR空間の構造を変化させたり、インタラクションの起点となったりするユニークなアプローチは、多くのVR開発者やアーティストから注目を集めています。

サウンドへの傾倒:制作の原点と発想プロセス


――まず、サトウさんがVRアートにおいて音響表現を主軸に置くようになったきっかけについてお聞かせいただけますか。

私のキャリアの原点は音響工学にあります。音波が空間を伝わる物理現象や、それが人間の聴覚や心理に与える影響に強い関心を持っていました。一方で、視覚情報に比べて音響は往々にして補助的な要素として扱われがちです。しかし、私たちの現実世界での知覚は、視覚と聴覚、そして他の感覚が複雑に絡み合って成り立っています。特に空間認識において、音響は視覚情報と同等、あるいはそれ以上に決定的な役割を果たす場合があります。

VRというメディアに出会ったとき、これは単に「見る」だけでなく、「そこにいる」という強い感覚、つまりプレゼンスとプレイス感を創出できる稀有な表現媒体だと感じました。そして、この「そこにいる」感覚を最大限に高めるためには、視覚だけでなく、音響をいかにリアルかつ表現豊かに扱えるかが鍵になると直感したのです。これが、VRアートにおいて音響を主軸に据えることになった最大の理由です。

作品のアイデア発想プロセスも、多くの場合、まず「どのような音響体験をデザインするか」という問いからスタートします。例えば、特定の周波数成分が空間の質感を変容させる、あるいは微細な環境音がユーザーの感情を特定の方向へ導くといった、音響が主導する体験の核となる部分を設計します。その後に、その音響体験を視覚的にどう補強し、インタラクションとしてどう具現化するかを考えます。一般的なVRコンテンツ開発とは逆のアプローチかもしれません。

技術とアートの融合:実装への挑戦


――音響を主軸としたアート作品をVR空間で実現するにあたり、どのような技術やツールを使用し、どのような工夫をされていますか。特に、技術的な課題への取り組みについて詳しくお聞かせください。

主にゲームエンジンであるUnityやUnreal Engineを開発環境として使用しています。音響システムの実装には、FMOD StudioやWwiseといったオーディオミドルウェアを活用することが多いです。これらのツールは、単なるサウンド再生に留まらず、パラメーター駆動型のサウンドイベント、複雑なルーティング、リアルタイムエフェクト処理、そして高度な空間オーディオ機能を提供してくれるため、音響を動的なアート要素として扱う上で非常に強力です。

独自のワークフローとしては、まず音響ミドルウェア側でサウンドアセットの基本的な振る舞い、インタラクションによる変化の構造、空間化の設定などを綿密にデザインします。その後、ゲームエンジン側でこれらのサウンドイベントをトリガーするためのスクリプト(C#やC++)を記述し、視覚オブジェクトや物理イベント、ユーザーの入力などと連携させます。例えば、仮想空間内のオブジェクトの材質や形状に応じてリアルタイムに残響や反響音を変化させたり、ユーザーが特定のジェスチャーを行った際に、視覚エフェクトと同期した複雑なサウンドスケープを生成したりします。

技術的な課題は常に山積しています。一つはパフォーマンスです。多数の独立したインタラクティブサウンドや、複雑なリアルタイム空間化処理は、特にモバイルVRデバイスなどでは処理負荷が大きくなりがちです。この課題に対しては、不必要なサウンドイベントの発行を抑制する、音源の距離に応じた詳細レベルの調整(LoD)、空間化アルゴリズムの最適化(例えば、レイトレーシングではなくベイク済みのリフレクションプローブや簡易的なオクルージョンモデルを用いるなど)、そして非同期的なサウンド処理の実装といった工夫を行っています。プロファイリングツールを用いてボトルネックを特定し、一点ずつ改善していく地道な作業が不可欠です。

また、空間オーディオの「リアルさ」と「アート的な誇張」のバランスも重要な課題です。現実の音響物理現象を忠実にシミュレーションすることも可能ですが、それが必ずしも最高の没入感や表現力に繋がるわけではありません。例えば、特定の音源は距離に関係なく大きく聴かせたい、あるいは存在しないはずの場所から音が聴こえることで空間の歪みを表現したいといったアート的な意図がある場合、標準的な空間オーディオモデルをそのまま適用するだけでは不十分です。このような場合は、オーディオミドルウェアのAPIを深く理解し、音源のゲイン、減衰曲線、空間化モデルのパラメーターなどをカスタムスクリプトで動的に制御することで、物理法則に基づきつつも、アート的な演出意図を反映した音響表現を実現しています。

// Unity/FMOD Studio の例(概念コード)
// 特定のオブジェクトに近づくと、空間化されつつも音量が一定以上に保たれるカスタム減衰
FMODUnity.RuntimeManager.StudioSystem.getEvent("event:/MyCustomSound").createInstance(out FMOD.Studio.EventInstance soundInstance);
soundInstance.set3DAttributes(FMODUnity.RuntimeUtils.To3DAttributes(transform.position));

// カスタム減衰曲線を実装するロジックの一部
// 例:距離が一定以下の場合は標準減衰を無視し、最低音量を保証
float distance = Vector3.Distance(transform.position, Camera.main.transform.position);
float minVolumeDistance = 5.0f; // この距離以下では最低音量を保証
float minVolume = 0.5f; // 最低音量 (0.0 - 1.0)

if (distance < minVolumeDistance)
{
    // FMODのパラメータを直接操作するなどしてカスタム挙動を実装
    // 例: Distanceパラメータを強制的に小さい値に設定したり、直接Volumeを設定したり
    // soundInstance.setParameterByName("Distance", 0.0f); // パラメータを使う場合
    // soundInstance.setVolume(Mathf.Max(minVolume, soundInstance.getVolume())); // 直接操作する場合
}

soundInstance.start();

上記はあくまで概念的な例ですが、このようにエンジンのスクリプト側からオーディオミドルウェアの機能を細かく制御することが、技術とアートを融合させる上で不可欠な手法となります。また、音響と視覚の同期や非同期連携も重要です。例えば、視覚的なパーティクルエフェクトの発生と同時に、多数の微細なサウンドをバラまく場合、個々のサウンドイベントを正確に同期させるのは難しいことがあります。この場合、サウンド側では非同期的なランダムディレイを許容しつつ、全体として視覚的な印象と調和するようなサウンドデザインを施す、といったアプローチを取ります。

最も重要視している点は、「技術によって何が表現可能になるか」という視点と、「その表現が体験者にどのような知覚や感情を喚起するか」という視点の両方を常に持ち続けることです。単に新しい音響技術を試すだけでなく、それがアート表現としてどのような意味を持つのか、体験者の心にどう響くのかを深く考察することを欠かしません。

VRアートの未来:音響の可能性


――最後に、VRアートの今後の可能性や、サトウさんご自身の活動の展望、そして技術の進化がアートに与える影響についてお聞かせください。

VRアートにおける音響の可能性は、まだ始まったばかりだと感じています。現在は主にヘッドホンやイヤホンを通じた体験が多いですが、将来的にはより高度なスピーカーシステムや、空間自体に音響的な特性を持たせる技術(例:音響メタマテリアル)が登場することで、さらにリッチで自然な音響体験が実現するかもしれません。

また、イマーシブオーディオ技術、例えばAmbisonicsやオブジェクトベースオーディオの進化と普及は、VR空間における音響表現の自由度を飛躍的に高めるでしょう。これにより、音源の位置だけでなく、音の広がりや質感、空間自体の響きをより細かくコントロールできるようになります。私の今後の活動としても、これらの先進的なイマーシブオーディオ技術を積極的に取り入れ、音響が空間そのものを再定義するような作品制作に挑戦したいと考えています。

技術の進化という点では、AIによる音響生成やリアルタイム処理技術の発展も注目しています。特定のインタラクションやユーザーの状態に応じて、AIが動的に、かつ文脈に応じたサウンドスケープを生成するようになれば、予測不可能な、より生命感のあるVRアート体験が可能になるかもしれません。また、ハプティクス(触覚フィードバック)や嗅覚提示技術との連携も重要です。音響とこれらの感覚刺激を統合することで、体験者の没入感はさらに深化するはずです。

エンジニアの皆さんへのメッセージとして、VRアートは、技術的な探求心と表現への情熱が交差する非常に魅力的な領域です。皆さんが持つ高度なエンジニアリングスキルは、アート表現の可能性を広げる強力なツールとなり得ます。音響に限らず、物理シミュレーション、レンダリング、ネットワーク技術など、様々な技術がVRアートの新たな表現を生み出す可能性を秘めています。ぜひ、アーティストの視点や作品に触れて、自身の技術をどのように応用できるか、どのような新しい表現を共に創り出せるかを考えていただけたら嬉しいです。

まとめ

サトウ ハルキ氏のお話からは、VRアートにおける音響の重要性、そして技術とアートが密接に連携することの可能性が強く伝わってきました。特に、サウンドデザインを核とした制作プロセス、パフォーマンスや表現力のバランスを取るための技術的な工夫、そしてエンジニアリングスキルをアート表現にどう結びつけるかという視点は、多くのVR開発者にとって示唆に富む内容だったのではないでしょうか。

サトウ氏のような先駆者の活動を通じて、VRアートは視覚表現だけでなく、音響、そして将来的には触覚や嗅覚といった多様な感覚を統合した、真に「体験する」アートへと進化していくことでしょう。技術者とアーティストの密な連携が、VRアートの未来を切り拓いていく鍵となるはずです。

本日は貴重なお話をありがとうございました。